恵みのしずく

恵みのしずく(12)-2「わが歩みは福音館とともに」 (大竹 登巳子)

またたくまに献堂3周年を迎えました。3年前の抜けるような青空のクリスマスの日に、宮園福音館の初穂として受洗させて頂きました。その日は、イエス様を信じることができて、まるで奇蹟が起こったとしか言いようのない不思議な気持ちと、心の底からこみ上げてくる喜びで一杯の、記念すべき第一歩の日となりました。嬉しいことに、この日から宮園福音館の歩みは、私の歩みと同じになりました。

 あっという間の3年間でしたが、今年は長男の受洗、続いて主人の受洗、さらに主人の母の病のために住みなれた宮野木から市川への引っ越し、そして市川での家庭集会と様々な出来事がありましたが、ただ主の限りない深いなさけとあわれみと愛を頂き、その恵みに感謝で一杯の日々でした。

 神の選びに与る前の私は、夫や子供がすべてで、神様を求める気持ちはとても薄かったのです。罪に対しても、まったく鈍い者でした。そのうえ、信仰に対して恐れと猜疑心が強かったのです。なぜかと言いますと、小さい頃から母に何度となく聞かされた話が、私の心に強く影響していたからです。

 私は本所深川の生まれで、赤ん坊の時、東京大空襲にあいました。母の話によりますと、あの昭和20年(1945年)3月10日の夜、家族はバラバラとなり、私は母に背負われ大風と火の中をやっとのことで、鉄筋建ての近くの小学校に避難しました。学校中が火の海となり、もう助からないと思う時、それまで大勢の人たちと車座になって神よ仏よと祈っていた母は、「ここにいては助からない。人間、最後の一分一秒まで望みを捨てないで生きねば」と思い直し、白木屋デパートの火事で屋上へ逃げた人が助かったことが脳裏に浮かんで、屋上へ逃げたそうです。そして、下の教室から吹き上げてくる炎の中を一晩中逃げまどい、階下が全員死亡の中、文字通り奇蹟的に私と母は助かったのです。

 「この世に神はいない。頼れるのは己れのみ。もしあの時、神様と祈っていたら、今日あなたは生きていなかったのよ。」

 こう母に言い聞かされ、言い聞かされて育ちました。ですから、学生時代にも塩田章先生という、どこを切ってもクリスチャンというべき素晴らしい先生に巡り合いながら、トマスのように、どうしても猜疑心を拭い去ることが出来ませんでした。

 そんな私が、受洗の1年前に、いま思い起こしてみても神の深い働きとしか思えないのですが、三木家の婦人聖研に導かれました。初代教会を思わせるような家庭的で温かな集会に魅せられ、三木姉をはじめ荏原姉、安保姉、熊田姉、仙台の高橋姉、滝沢姉、その他の方々の親切で心の底から温かなお人柄に、キリストの愛の温かさのようなものを感じて、少しずつ心が開いてまいりました。

 半年近くたった頃、教会が必要となり、姉妹方が一心に祈り求め始めました。祈ったことのない私は、まだまだ半信半疑で、「この方々が言うように、本当に無から有を生ぜしめるなら、会堂を建ててこの目で見させて下さい。そうしたら、神様を信じます」と祈ってみました。

 「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」(ヨハネ15:7、口語訳聖書)

 このみ言葉は全く真理でした。姉妹方が一心に祈り求めた時、神は本当に会堂を建てて下さり、最善をもって応えて下さったのです。私はこのことを自分の目で見ることができ、深く感動しました。

 こうして、私が「神は生きておられる」と確信した時、不思議なことが起こりました。あの無神論の母が、「私は、今まで頼れるのは自分のみと信じてきたけれど、自分の力などは所詮ちっぽけなものだと、この年になって初めて悟った。だから、あなただけは信仰をもって、これからの人生を豊かに生きてほしい」と逆に信仰を勧めるではありませんか。

 さらに、「あなたが信仰を持ったら、堅固さんも子供たちもきっと持つから、まずあなたが最初に持ちなさい」と、み言葉通りのことを言って激励してくれたのでした。

 まさしく2年後に、その通りとなったのです。受洗の2週間前、ルカ伝を通してイエス様が私のために十字架にかかって下さったのだと強く胸に迫ってきて、信仰を告白しました。それまで幸福で恵まれた生活をしていても、いつ何が起こるかわからないという不安がよぎりましたが、「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ」(伝道者の書7:14)のみ言葉で平安が与えられ、すべてに感謝することを知りました。

 私のような者を忍耐強く待っていて下さり、心にとめて、貧しい弱い祈りを聞き入れて下さった主に少しでも応えたいという気持ちでいっぱいです。尊い日曜学校のご奉仕をさせて頂けるのも恵みです。

 「われらが卑(いや)しかった時に、われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」

(詩篇136:23、口語訳)

 献堂式前夜に、伊藤栄一師からメッセージを通して、このみ言葉を頂きましたが、これからもイエス様を初めて知った頃の感激を忘れずに、謙虚な心を持って、この喜びを少しでも多くの方々に分かち、福音を語っていきたいものです。

 多くの方々のとりなしの祈りを心から感謝申し上げます。