恵みのしずく

恵みのしずく(19)^

「マギンティー宣教師夫妻の思い出」

(大竹 堅固)

「神の数え方」-岩手での2年間の支援活動を終えて-

(マイク・マギンティー)

 

「マギンティー宣教師夫妻の思い出」

 

 OMF(Overseas Missionary Fellowship=国際福音宣教会)の宣教師マイク&ロウィーナ・マギンティー夫妻が、初めて当教会の主日礼拝に参加されたのは、2014年8月3日(日)のことでした。「平和聖日」の日で、宣教者は藤崎信牧師。聖餐式の恵みに一緒に与った訳です。その後、この教会のあり方と雰囲気を気に入ってか、毎月1,2回は出席して下さるようになりました。

 それで、お二人のことがいろいろ分かってきました。マイクさんはアメリカ人でテキサス生まれ、ロウィーナさんはカナダ人でマレーシア生まれということも。ロウィーナさんのお父さんは、OMFの前身で、1865年にハドソン・テーラーによって創設された「中国奥地伝道団」(China Inland Mission)の宣教師だったそうです。

 その後、CIMは1949年9月に共産政権の「中華人民共和国」の成立によって中国からの撤退を余儀なくされ、現在のOMFに名称を変えて、1951年から東南アジア諸国への伝道を開始しました。現在はシンガポールに本部を置き、日本をはじめ韓国、台湾、香港、フィリピン、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、カンボジアの10カ国に1,000人近い宣教師・ワーカーを派遣しているそうです。

 マギンティー宣教師ご夫妻は、北海道で27年間に5つの教会を開拓伝道し、その後2011年3月11日に「東日本大震災」が起きると、2年間、岩手県で被災者たちの支援活動に当たりました。今回の後半に掲載するマイク・マギンティー宣教師の「神の数え方」は、その2年間の貴重な記録であり、また一人のキリスト者の素晴らしい証しであると確信します。是非お読みください。

 その後、2014年7月から市川の「OMF日本本部」に移られ、初めて“関東人”になられたのです。そして、翌月から前述したように当教会との交わりが始まったのです。その約半年後の2015年2月13日(金)に市川市中国分のマギンティー家に私たち夫婦が招かれました。何か「お話ししたいことがある」ということで、ご指定の6時に伺いました。

 ロウィーナさんの手料理の夕食を頂きながらのお二人のお話は、こういうことでした。

 「私たちは、決して聖望教会のやり方を邪魔するようなことはしませんので、もしよろしかったら、私たちを使って下さいませんか」ということでした。

 この半年間のお付き合いで、お二人の人柄の良さ、聖書の輪読も見事にこなされるので、私たちには“願ってもない”お話でした。

 そこで早速、前日の12日(木)に鶴見のスパに入っている最中にてんかん症状を起こして、救急車で緊急入院した吉枝隆邦師の容態如何(いかん)によっては、22日(日)に予定されている説教を代わって頂けるか、と問うと「大丈夫です」という答えでした。

 吉枝先生の回復には少し時間がかかり、再び聖望教会に戻られたのは、3ヵ月後の5月24日のペンテコステ礼拝でした。

 まさに“天の配剤”としか言いようがありません。10日もたたないうちにマギンティー夫妻の“願い”が叶い、教会の“ピンチ”も救われたのです。かくして2月22日(日)、吉枝師に代わりマイク師が、康子姉に代わりロウィーナ姉が教会とCSのご用をそれぞれ果たされたのでした。

 これを初回に、その後4年の間にマイク師は忙しい合間をぬって7回の宣教をしてくれました。子供好きのロウィーナ姉は、それ以上にCSのご用を喜んで助けてくれました。 

 翌週に日本を去るという2018年4月8日(日)のマイク宣教師の“ラスト・メッセージ”の日、昼食後ささやかな「お別れ会」をさせて頂きました。その時の“テキサス・ガイ”の優しい目に浮かんだ涙が忘れられません。

 「33年に及ぶ日本宣教ご苦労さまでした!」

2019年11月17日記 大竹堅固

 

「神の数え方」

-岩手での2年間の支援活動を終えて-

(マイク・マギンティー)

 

 岩手には様々な独特の文化がありますが、ある日、私はその一つを目の当たりにすることができました。

 東京行きの新幹線に乗り換える前に、お昼ご飯を食べていた時のことです。猛烈なスピードでお椀の中のそばをかき込んでいる男性の上から屈み込むようにして、給仕役の女性が素早い動作で、次々とお代わりのそばを投げ入れていきます。みるみる空のお椀が積み上げられ、彼がもうこれ以上は食べられない!と降参するまで、その不思議な光景は続きました。

 後で、そのユニークな行事が「わんこそば」と呼ばれること、そして最近の「わんこそば競争」の優勝者は、なんと10分間で実に383杯ものそばを平らげた、と聞きました。わんこそばは、岩手を訪れる多くの観光客に人気で、人々は自分が何杯食べたかを記録した証明書をおみやげにもらって帰るそうです。

 

結果を数えて

 2年間の岩手での復興支援活動も終わりに近づき、それまで延期していたアメリカへの一時帰国の準備を進めながら、私たちは普段の教会関係の奉仕とは異なった今回の働きのまとめをしようとしています。

 まるで2年間の「わんこそば競争」のようだった日々、その間に行なわれてきた様々な活動をどのように評価したらよいのでしょうか。今も私たちの前に積まれて、過去の多くの困難を思い出させる、それらお椀の山をどう数えたらよいのでしょう。

 こうした様々な問いについて思いめぐらしていますが、まずはシンプルに自分たちが配った山のような米袋を数えることから始めるべきでしょうか。配ったリンゴや電気毛布、何箱もの洗濯洗剤、ジュース、手袋なども数のうちに入れなければならないでしょう。

 または、いっそそうした物資ではなく、他の分野に目を向けて、犠牲を払って私たちと共に働いて下さった何百人ものボランティアを数えるとよいのかもしれません。あるいは、様々な仮設住宅を訪れながらコーヒーショップを開いた回数や、被災者の住まいを訪ね、挨拶し、支援物資を手渡した回数も数えられるかもしれません。

 「いっぽいっぽ山田」は、地域の人々の憩いの場となるように1年前にオープンした場所ですが、過去に何人の人々が訪れてくれたか正確に分かります。本間兄が詳細に記録して下さったおかげです。 

 もっと霊的なものを数えるならば、手渡したトラクトの数、新たに始めた聖書の学び会の数、そしてもっと大切な受洗者の人数を数えることができるでしょう。こうして私たちは様々な多くのものを文字通りに数え上げることはできますが、これらの価値と意味は単なる数値で測ることはできません。

 

永遠を数えて

 この2年間で私たちの前に積み上がったお椀の持つ意味を評価しようとする時、私たちは「神の数え方」は私たちの数え方とは全く異なることを忘れてはならず、神のそのような見方を常に心に留めていることが大切です。

 「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(Ⅱペテロ3:8)と私たちは教えられています。また、神は失われた一匹の羊を熱心に探し続ける“よき羊飼い”でもあります(ルカ15:4)。

 さらに神は、何億もの星々を一つ一つご存知であり、同時に私たちの髪の毛も、あらゆる砂浜の砂つぶの数もご存知の方です。それでも一羽のスズメすら神のお許しなしには、地に落ちることがないのです(マタイ10:29)。 

 神は途方もなく広い全体と、一見何の変哲もない個々人両方をすべて一望のもとに、しかも時間を超えてご覧になれるお方なのです。

 私たち自身が経験したこと、そして共に働いた兄姉たちの数えられないほどの経験とは、とても複雑にからみ合っています。それらをほぐして分けることも、それらの出来事にどんな意味があるのかを特定することも難しいと感じる時、これらの真理を心に留めておくことが大切です。 

 幸いなことに、私たちは分けたり意味づけをしたりしなくてもよいのです。このような災害をお許しになり、また私たちをここに導いた神は、その御前に信仰の内に置かれたお椀を受け取り、永遠の御目的のために用いて下さることでしょう。 

 このようにして私たち夫婦は、今は数え上げる時ではなく、むしろ立ち止まって、神のご真実さゆえに感謝をささげ、いま理解できないことについては、ただ神を信頼する時だと気づかされました。

 

無駄を数えて

 伝統的な「わんこそば」を見た時、最初、私はショックを受けました。震災の被害に苦しむ岩手沿岸地域の日常とあまりに掛け離れて見えたからです。同じ県の他地域では、仮設の避難所が何とか食料を調達しようとしていた時に、そこでは食べ物を無駄にしているように思えてしまったのです。

 同じように、これほど大規模な災害においては避けられないことですが、緊急に手配された支援物資が無駄になってしまうこともあり、それを見て悲しく思うことも時折ありました。

 圧倒されるような状況の中、人々の状況も目まぐるしく変わり、その時々の必要は何かを見極めようとしながら支援活動を行なってきました。しかし、どんな状況でも、人員・金銭・物資・時間などを最善に活用できたとは言えませんでした。

 しかし、文字通り根底から揺るがされたこの国で、キリストのからだである諸教会が多くの、そして驚くほどの行動を起こしました。そして今も、日本の教会の中には力強い動きがあります。そして私たちも微力ではありましたが、そのような中で働くことができたことを心から感謝しています。

 また、多くの神の民が犠牲を払い、信仰をもって愛の行動や言葉で仕えてくれました。災害が起こるまでは見逃されがちであった、この地域に蒔かれたそれらの種が、決して無駄になることはないと私たちは確信しています。

 

未来を数えて

 一つまた一つと支援団体がその働きを閉じていき、被災地を訪れるボランティアの人数も減少し続けていますが、被災地には被災当時のままのものが、まだ多く残っています。

 今も仮設住宅で暮らす何万人もの人々、部分的にしか修復されていないインフラ設備、依然高いままの失業率、家屋の基礎部分だけを残して手付かずのままになっている広大な土地は、なすべき仕事はまだ山ほどあるのだ、と無言の内に語っているかのようです。

 これら長期的な課題に対する関係省庁の対応が二転三転する間、神の教会と神の民の復興に対する取り組みは続いています。それは教会開拓の場合もあれば、慰めの言葉と行動をもって傷ついたコミュニティに静かに寄り添おうとする働きの場合もあるでしょう。

 10年後、一時期住むことが許されたこの岩手の地に戻る機会を神が与えて下さるならば、その時には、この地で主によって変えられた多くの魂を、特に瓦礫(がれき)の中から生まれた諸教会を見ることができるように、と私たちは願っています。

 今後、OMF岩手支援プロジェクトは高橋牧師をリーダーとして、2014年5月まで続けられます。他のボランティアやスタッフの方々と共に、チームは神の恵みと神の栄光のために、さらに多くのお椀を重ねていくことでしょう。どうか、お祈りください。