恵みのしずく

恵みのしずく(12)-1「私の信仰術」(大竹 達之助)

 以下に取り上げた二篇は、すでに「恵みのしずく」(5)の「私はいま受洗しました」が掲載された、私たちの母教会である「宮園福音館」(千葉市稲毛区宮野木町にあり、現在は「宮園キリスト教会」に改称)の献堂3周年の記念文集『えくれしあ』(家の教会)第一号(1981年11月発行)に同じく載ったものです。

 この年の3月に、この宮野木町から市川に引っ越した私たちは、5月に「市川家庭集会」を再開し、主日礼拝には両親や時には集会の人たちを乗せて母教会に通っていたのです。特に父は、この年の10月に胃ガンの末期であることが判り、11月に一応の手術はしましたが、“余命一年以内”との告知が医師である義兄たちから私たち肉親には知らされたのでした。

 思えば、一年前の8月に認知症(アルツハイマー症)の進む母についての親族会議が市川の両親の家で開かれ、7人きょうだいの一番上の姉・携子の主導で、誰かが市川に戻って両親のお世話をするしかないのでは・・・、ということで、一応の話は終わり、私たちは稲毛に戻りました。

 その翌日の昼頃、家内から会社に電話があり、「あなたが出たあと、新橋の不動産屋の人が来て、『お宅を売りに出すそうで、ちょっと見積もらせて下さい』と言ってきたのよ」との驚きの一報でした。

 これは携子姉の仕業に違いない、と松戸の家に抗議の電話を入れると、すぐに出た姉が「あなたたちしかいないでしょう! サラリーマンが二軒の家など持てないのだから、早くその家を売って、大竹家の本家に相応しい家を建ててよ!」で終わりでした。

 この姉の強引な押しつけに負けた訳ではなく、その後2,3週間考えているうちに、「お前が行きなさい!」という何か目に見えないものに背中を押され、市川に戻ることを私は決断したのでした。

 最初は、今の場所を離れがたく思っていた家内も、深川の実家の母に相談すると、母の晴子さんは即座に「若いあなたが行かなくてどうするの? あなたがクリスチャンになったのは、そのためでしょう」と一喝されたそうです。さすが、私が惚れ込んだ晴子さんでした。ハレルヤ!

 今になって思うのですが、主がこうした未信者の二人をも用いて“市川行き”を早めてくれたことが、その後の大きな恵みに繋がっていったのです。もし半年遅れていたら、宮園福音館でなした父の証詞の一文も生まれなかったでしょう。携子姉について言えば、父のガン告知がなされた翌年の3月31日に、心臓発作で父に先駆け亡くなったのです。あと1ヵ月ほどで50歳を迎えるという若さでした。

 大竹登巳子姉の一文は、稲毛で暮らした12年の中で、彼女がクリスチャンとなっていく過程を正直に証詞したものです。彼女に影響を与え続けた母・晴子さんが、ここでも大きく関わっていることが判るでしょう。

(2019年1月15日(火)記 代表:大竹堅固)

 

 

 

「私の信仰術」

(大竹 達之助)

 私は生まれてすぐ里子にやられ、6年間、里親のもとで育てられました。家は米、薪、炭などを売っておりましたが、父は多分、私が小学4年の終わりか5年の始めに亡くなりました。

 家の手伝いをしながら、小学校を卒業。すぐ小僧にやられましたが、幸い叔父に拾われて上の学校へ進みました。しかし、叔父の事業は一年ほどで失敗。これから大学卒業までが、私の苦学生活の時代でした。そして、卒業したのが昭和2年(1927年)、いわゆる“昭和恐慌”の不況時代で「大学は出たけれど勤め口なし」の時でしたが、ある人のお世話で、名古屋の鉄道局に特別待遇で勤めることになりました。

 その後、ふとしたことから自分の過去を振り返ることになり、これが動機で信仰生活に入りました。そして、ある理由で学歴を放棄したのです。体一つで生きていく年、25歳でした。2年後に結婚したのですが、キリスト信者を前面に出しての生活が、神の特別のあわれみを受けることになったものと思います。内村鑑三先生の愛吟の「小なる務小ならず。大なる務大ならず。小は我意を為すにあり、大は聖旨(みむね)によるにあり」の言葉と、「人には独立、神には服従」の私共の標語と、どうしても祈らなければ生活できなかったことが、50年の信仰生活を支えて下さったものと思います。

   一筋の道ひたむきにたどりつつ

    今日に至りしは恩寵の賜物

 老年になり、聖句(みことば)を筆で書くことも私には楽しみであり、また信仰生活を益することも大であります。多少、芸術的に書こうとするには、文字の選定と、その聖句の意味を少しでもよく知ることが大事です。三木貞夫先生の伝道標語「これは権勢によらず、能力によらず、わが霊によるなり」(ゼカリヤ書4:6)や、いま私が書きつつあるルカ伝22章42節、さらにヨブ記の1章21節などは私の好きな聖句です。

 ともすると、神の恵みの入っている部屋のドアにはハンドルがついていない。いざ入ろうと思っても入れない。ドアは内側からしか開かない。だから外から来て入ろうと思う者は、叩く以外に方法はない。恵みを欲する者は叩く、強く叩く、叩けば必ず聞こえる。あとは聞いた神に任すのが一番よい。自分の信仰に疑いがかかったら叩け、叩き続けよ。そして任せよ。そうすれば、キリストの恩恵と平安があなたの心を満たして下さる。これが弱い私の信仰術です。