恵みのしずく

恵みのしずく(33) 「聖地イスラエルの旅」 (池田 雅臣)

 上記表題の一文は、古い貴重品を入れた私の「ケンジーの宝物入れ」の中に収納されていたもので、最近、再発見したものです。鉛筆書きで「金町教会で、帰国後、口頭報告した際のメモです。いずれ報告書にしたいと思っていますが…。池田(7/2)」とあり、上部に「2010年4月4日」の文字も見られます。

 早速、2010年7月2日を調べてみると、金曜日の集会の日でしたから、この夜に頂いたものであり、4月4日は日曜日でしたから、その日に「金町教会」(日基教団)で報告したものと推察できました。

 池田雅臣・真佐子ご夫妻は、雅臣兄が「日立」でお勤めの時には「日立教会」に所属し、藤崎信・一枝ご夫妻と親しい間柄で、東京に転勤されてからは葛飾区東金町に居を定め、1997年11月9日(日)の聖望キリスト教会における藤崎信牧師の礼拝に初参加してくださり、その後も夜の家庭集会によく出席してくださるご夫妻です。

 今回、改めてこの一文を読ませて頂き、内容が「口頭報告した際のメモ」どころではなく、さすが学究肌の池田さんならではのもので、“優れた聖地イスラエルの報告書”と確信し、「恵みのしずく」への掲載をお願いした次第です。

(2021年2月9日記 大竹 堅固)

「聖地イスラエルの旅」

 

 この3月16日から27日までの12日間、今まで願っていながら実現しなかった聖地イスラエルの旅を体験しました。旅の概略行程は、ローマ経由でテルアビブに入り、ガリラヤ湖畔の北西側に位置するガリラヤ地方最大の都市ティベリヤに3泊、さらにエルサレムで4泊でした。北はヨルダン川の北端の源泉地ピリポ・カイザリヤから、南は死海の北側にあるクムランまで、福音書に記述されているイエスの生誕から十字架までの短い生涯のスポットをゆっくりと巡る旅でした。

 この旅行は、早稲田大学の英文学者による「聖書と文学」と題するオープンカレッジ講座を数年間に渡り学んできた聴講生を対象に、この英文学者と共に現地を実際に体験しようという企画でした。妻がこの講座を当初から受講しており、それで私も飛び入りで参加することが出来ました。本旅行ではさらに、エルサレム在住の優れた女性ガイドが全行程を同行しました。彼女はユダヤ人と結婚した日本人で、イスラエルの公用語ヘブライ語が自由に話せ、旧約聖書と新約聖書に極めて精通した方でした。彼女にとって「新約聖書」の福音書とは、彼女自身が住むイスラエルの地で約2千年前に現実に起こった出来事の経過が記述されている史実書という認識であり、預言者イエスが辿った史実に極めて強く興味を持って文献調査し勉学している方である、と私は直ぐに理解しました。

 近世以来の欧州の考古学者等による科学的な現地調査もあり、福音書に記載されている内容、イエスが行なった奇蹟等の内容や場所がかなり明確に特定されています。彼女を含めイスラエルに住むユダヤ教徒たちは、それを意識するとしないとに関わらず、それら史実の世界の中に実際に向き合って生活しているということです。

 私にとっての新約聖書は、2千年前に起きた出来事の史実としての記載と言うよりも、宗教的な意義を史実的に記述した書物として理解していましたので、これには少々戸惑いました。逆に、いま私が、イエスの生きた自然や世界の真っ直中に現実にいるのだ、という実感が湧いてきました。

 イスラエルは四国ほどの面積の国で、移動は専用の大型バスでした。季節は東京と同じく冬でしたが、ちょうど雨季に当たり、北のガリラヤ地方は当然のことながら、エルサレム周辺も予想していた以上に緑が豊かでした。オリーブの木々が小さな実を豊かに付けていました。

 私はスペイン滞在の経験がありますが、スペインの首都マドリッド周辺はオリーブも育たない乾燥の激しいところです。それに比べれば、食卓に並ぶ野菜や果物も全て現地産とのことで、人間の住むに優しい土地であるというのが、私の第一印象でした。

しかし、4月以降になると、南では雨がほとんど降らない夏の乾季に入り、いわゆる砂漠の荒野になるとのことでした。同行の一人が、「米国のカリフォルニア州の気候に、広さを除き、地形も含め良く似ている」と感想を述べていましたが、まさしく同感でした。

 今回のイスラエル旅行で認識を新たにしたのは、イスラエルはユダヤ教徒の国である、ということでした。ユダヤ教徒が76%、イスラーム教徒が16%に対し、キリスト教徒は2%に過ぎません。ユダヤ教に対して、余りに誤解していた自分を発見しました。

 キリスト教の常識をもって、ユダヤ教を理解したり、接近することも間違いであることが判りました。ユダヤ教はユダヤ人の宗教でありますが、決してイエスとの関係で自己定義はしていないということです。「ノアの方舟」からアブラハム、ヤコブの時代のエジプト移住、モーセによるエジプト脱出と十戒の授受、さらにバビロニアへの捕囚など。ユダヤ人はこうしたイスラエル4千年の長い歴史を誇りとし、このパレスチナ地方(カナンの地)で、創世記を始めとする「モーセ5書」の戒律を忠実に守りつつ、神の深い愛を信じて、今も強く生きているという事実です。

 ユダヤ人に対しては、近年では第2次世界大戦でのヒットラーのナチスによる虐殺がありました。第2次世界大戦後にイスラエル建国がなされましたが、パレスチナでの先住民アラブ人との闘いが続き、さらに数次に渡る中東戦争の勃発、パレスチナ暫定自治区の設置など、不幸な紛争が現在も絶えません。

 今回の旅行は、新約聖書の福音書に記述されている2千年のイエス時代の遺産を中心に、静かに当時を辿る旅と思っていましたが、こうした歴史と現実の厳しさの断片を随所に垣間見ることとなりました。イスラエルが置かれている、こうした厳しい現実は、我々外部の者にとっても容易に解決策が見出せないのも事実であり、複雑な思いに駆られました。

 それでもその都度、引率の英文学者および現地ガイドにより、頻繁に適切な聖書(福音書)の朗読による引用と解説があり、イエスの苦闘の短い生涯の言動が具体的に連想させられ、胸が詰まる思いでした。

 このように心休まる穏やかな自然の中で、ふと頭によぎったのは、イエスは何故若くして早期の昇天を選んだのだろうか。人間として、もっと長期間、伝道を続ける努力をなぜしなかったのだろうか。人々の病や老いを本当に理解していたのだろうか。人々の罪を贖うには、若くしての十字架でなくても良かったのではないか。

 それにしても、12人の弟子を、彼らがそれまで蓄えていた全財産を投げ捨てさせて、よくも短期間に集めることが出来たものと感心させられました。それはスローライフには、イエスの時代で、ここほど適した場所は無いのではないかと思われるほど、私には心穏やかに見えたからです。

 それでは、今回、訪れた主な場所を簡単にご紹介します。

 

  • ガリラヤ湖畔

 私たちが最初に宿泊したガリラヤ湖畔のティベリアは、イエスが布教活動を開始したカペナウムに近い場所であります。

 ガリラヤ湖は、南北20km、東西12kmのここパレスチナ最大の淡水湖で、イスラエルの年間の水源の35%を賄(まか)なっているとのことでした。ガリラヤ湖遊覧も体験しました。湖の対岸、東側のシリア側のゴラン高原はなだらかな丘が連なり、緑も豊かに見え、湖畔周辺には野花が咲き乱れており、実に穏やかで心休まる風景でした。

 ここティベリアではキブツ(財産を共有し、農業や創作活動を共同で行なうシステム。旅行者向けの宿泊施設も運用しており、中級程度とのことであったが、予想以上に洗練された建築家屋で、食事も豪華でした)で3泊しました。ティベリア滞在を拠点に、

 ①ナザレ:聖母マリヤがイエスの誕生を告げられた地。受胎告示を受けたとされる洞窟の上に建つ「お告げの教会」。その教会に隣接する「聖ヨセフ教会」(マリヤの夫ヨセフが大工の仕事をしていたという場所の上に建てられた)。この町は、イエスが両親と共に約30年間暮らした町でもあります。

 ②カナ:「婚礼の教会」(フランシスコ派修道会、ギリシャ正教会)。イエスが水をワインに変えたとされる(イエスの最初の奇蹟。ヨハネ2:1~11)。

 ③タボール山:ガリラヤ湖の西南にある山。イエスが一人で悪魔に会ったとされる。

 ④バニアス:ピリポ・カイザリヤ(ヘルモン山の西南麓、ガリラヤ湖の北40km、ヨルダン川の水源付近にあった町。地中海沿岸のカイザリヤと区別するためにこう呼ばれた。マタイ16:13、マルコ8:27)。

 ⑤タブハ村:ガリラヤ湖の北西側に「パンと魚の奇蹟の教会(ルカ9:10〜17、2匹の魚と5つのパンで5千人を満腹させた。)

 ⑥カファルナウム:聖ペテロの家の跡(招命教会)(ペテロの魚を昼食に食した。)

 ⑦至福の山:ガリラヤ湖の北西側にあるタブハ村からなだらかなスロープを上った所に、「山上の垂訓」の丘がある。ガリラヤ湖が良く見渡せる(マタイ5章の「山上の垂訓」の8つの句、6章の「主の祈り」はこの丘でなされた。イエスが12使徒を選んだ場所でもある)。

 

(2) エルサレム

 ①エルサレム:2千年前のイエス時代の雑踏を今も残す。

・オリーブ山・ゲッセマネの園・十字架の道行・最後の晩餐の間・嘆きの壁・聖ペテロ鶏鳴(けいめい)教会

 ・万国民の教会(苦悶の教会。イエスが最後の晩餐後、ゲッセマネの園で苦闘しつつ祈られた場所に、1919年、世界各地の教会の献金で建てられた)。(ルカ22:39〜46)

 ②イスラエル博物館

 ③ホロコースト博物館

 

(3) 死 海

 ①クムラン:死海北西岸のユダヤの荒野にある。いわゆる死海文書(写本)発見の洞窟。

 ②ベツレヘム:

 ・聖降誕教会;(マタイ2章、ルカ2章)人口調査のためヨセフとマリヤはナザレからここに来、イエスを生んだとされる。教会の地下洞窟に、銀で星形が嵌(は)め込まれた祭壇があり、イエスがそこで生まれたとされる。これに触るため、約2時間以上の行列を体験した。

 ・羊飼いの野;ベツレヘムの隣町に、神の使いが羊飼いに聖誕を告げたとされる場所(ルカ2:8〜20)。

 ③エリコ:誘惑の山修道院

 ベツレヘム、エリコはアラブ自治区で、パスポートが必要である。特にベツレヘムは高い塀で囲まれており、内部に住むアラブ系人々の経済状況は厳しく、失業率も30%を越えるとか。

 

(4) カイザリヤ

 テルアビブの約40km北に、地中海に面した美しい遺跡のある街。パウロが最後にローマに向け船出した港町。

 紀元前2世紀頃よりフェニキヤ人により港町が作られ、地中海の玄関口として栄えていた。ヘロデ王は、ここをアテネに次ぐ大きな港町を築こうと意図していたという。ポンテオ・ピラトもここに住んでいた記録が残っている。

 ローマ時代の約170m半円形の劇場、競馬場、入浴施設、導水橋等が現在も当時の形で保存されている。13世紀に建てられた十字軍時代の要塞も保存されている。

 パウロは、ここに2年ほど滞在したとも言われているが、私も幽閉されて見たくなるほどの娯楽施設やサウナ施設がある。

 

〈最後に〉

 「イエスは言われた。『何故眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」(ルカ22:46)

 今まで我等を愛し、かつこれからも愛したもう御神に感謝し、願わくば、我等が主の御業に関わる奉仕が、これからも出来ますように祈ります。アーメン!