恵みのしずく

恵みのしずく(5)「私はいま受洗しました」

(今から37年前の1981年3月、千葉市宮野木から市川への引っ越しの慌ただしさの中で、私は受洗を決断しました。以下の文章は、受洗後に語った皆様への感謝と、そこに至った私自身の思いを正直に綴ったものです。しかし、引っ越し用の多数の段ボールの箱に紛れて最近まで“行方不明”であったものです。)

 

 本当にありがとうございました。私のようなものが、このような日を迎えられましたのも、ひとえに皆様方の熱きとりなしのお祈りのお蔭です。本当に心から感謝致します。

 マタイによる福音書(7:13~14)に「狭き門より入れ、滅びにいたる門は大きく、その路は広く、之より入る者多し。生命にいたる門は狭く、その路は細く、之を見出すもの少なし」とありますが、文字通り、滅びにいたる道を知らず識らずのうちに歩み続けておりました私をひきとどめ、イエスご自身が言われている「わが来たるは羊に生命を得しめ、かつ豊かに得しめんためなり」(ヨハネ10:10)という豊かなる生命にいたる道へとお導き下さった三木先生ご夫妻をはじめ、この福音館の多くの兄弟姉妹に対し、何とお礼を申してよいのかわかりません。ありがとうございます。

 思い起こしてみますと、私も小さなころ、浅草橋教会の今は亡き泉田精一牧師から、わが家の家庭集会でよく聖書の話を聞いては、子供心にも「イエス様の教えって、何と素晴らしいのだろう」と思っていたのです。それなのに、私自身の鈍なる器と高慢なる心のせいで、目先のことにこだわり、つまづき、これまで長い間、すっかり神様から遠ざかった生活を送ってきてしまいました。

 しかし、忙しく経ち過ぎる日々の仕事の合間にも「これでいいのだろうか? ほかに誠の道があるのではないか?」と、心の中にいつも呼び掛ける声を感じ続けていました。そして、幸いなことに、子供たち3人がまず三木先生宅の教会学校に通い出し、さらに妻が婦人聖研に導かれました。妻を通して婦人聖研の様子や、そこに集う素晴らしい方々のことを聞いて、どれほど感動したことか・・・。また、この教会学校から宮園福音館建設の経緯は、傍観者の私にとっても、まさに“奇蹟”以外の何物でもありませんでした。

 そして、昨年(1980年)の春以来、私の母が急におかしくなり始め、8月の親族会議で兄弟姉妹一同相談の結果、私たちの一家が12年住み馴れたこの宮野木から市川へ戻ることになったのでした。しかし、母の病は、父や私たち子供たちに多くのことを教え示しているようです。

 この母の病によって、私は長いこと忘れていた祈りを毎晩するようになりました。そして、ただ神にすがって祈ることのみが、心に平安をもたらせてくれることを改めて知らされたのでした。また、この母の病を通して、兄弟姉妹たちの団結の必要をも教えられました。さらに、この母の病によって、父が「自分はこれまで自分の一番の隣人である妻に対して、愛を持って接していなかった」と、その信仰に“愛”が欠けていたことに気づいたのです。神は、この母の病気を通して、父の信仰の最後の仕上げをなさっているかのようです。このように、母には昨年以来いろいろな検査などで痛い思いをさせて可哀相ですが、そこには何か神のみ心が働いていると思わずにはいられません。

 今日、この私の受洗の日、ぜひ出席してほしかった母は、まだ入院中です。それで最後に、この母が大好きだった詩篇23篇を読ませてもらいます。母の台所には、まだ字が書けるころに書いたこの詩篇が貼られてあります。きっと洗い物などをしながら、口ずさんでいたのでしょう。

 「主はわが牧者なり。われ乏しきことあらじ。主はわれをみどりの野にふさせ、いこいのみぎわにともない給う。主はわが魂を活かし、御名のゆえをもて、我を正しき道に導き給う。たといわれ死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れじ、なんじ我と共にいませばなり。なんじの笞(しもと)、なんじの杖、われをなぐさむ。わが仇(あだ)の前に、わがために宴をもうけ、わが頭(こうべ)に油をそそぎ給う。わが酒杯(さかずき)はあふるるなり。わが世にあらんかぎりは、かならず恵みと憐れみと我にそいきたらん。われはとこしえに主の宮に住まん。」(詩篇23:1~6)

 

 この詩篇は、ご承知のように、あの栄華を極めたダビデ王が実の子であるアブサロムに背かれて、その王座を追われ、文字通り「死の陰の谷」を歩んでいる時に歌ったものです。しかしこの詩篇から、そうした暗さや絶望は少しも感じられません。むしろ逆に、何か澄み切った明るさ、すべてを神にゆだねた平安さに満ちた詩ではないでしょうか。

 それは、「主はわが牧者なり」という言葉にある〈生きるも死ぬるもすべてあなたにおまかせしましたよ〉という主に対する絶対的な信頼感と、中ほどにある「神います」以上の「神われと共にいます」という強い確信の言葉から来ているのだと思います。

 父から「あなたの信仰は弱い」といつも言われていた母ですが、この詩篇を声に出して幾度となく読んでいると、これが一番好きと言った母の信仰もそれなりに、信仰の本質を理解していたのだと思われてなりません。

 これから私もクリスチャンとして歩み始めるに当たって、このダビデの、いかなる時にあっても神に対する絶対的な信頼と確信をもって進んで行けたら、と願い祈るのみです。 

 どうかこれまで同様の、皆様方の熱きお祈りを切にお願い致します。ありがとうございました。

(1981年3月1日(日) 受洗の日 大竹堅固)