恵みのしずく

恵みのしずく(8)「藤崎 信先生と市川家庭集会」

 今年(2018年)9月15日(土)が来ると、“私たちの愛する”信先生は満92歳を迎えられます。今回は、先生との主にあるお交わりがいつから始まったのか、振り返ってみたい。

 そのきっかけは、このシリーズの第1回「十字架を掲げて37年」に登場する私の幼な友達の“豊ちゃん”(大日方豊兄弟)のひとことからでした。彼は、私たちが結婚後市川を離れたのち、「市川三本松教会」(日本基督教団)で洗礼を受け、クリスチャンとなっていました。それで12年後、私たち一家が母のお世話のために市川に戻ったのを一番喜んでくれたばかりか、戦後のわが家での家庭集会の復活を強く希望したのでした。わが家の前にお住まいの「小松川教会」(日本基督教団)の会員である小林育夫兄弟(武夫さんのお父さん)にも相談すると、「いいですね。やりましょう」と即座に快諾してくれました。 

 育夫兄弟は、その後数年して、集会および集まる方々のための祈り会の必要を相談した時も、即座に賛成され、大竹堅固・登巳子、育夫兄・豊兄の4人による「祈祷会」が1984年4月27日(金)より始まり、現在の教会での「朝祷会」(水曜日8:30~)へと継続しております。新聞社の編集部門の勤務時間が10時~6時体制であったため、9時に祈祷会を終えて飛び出せば10時には会社に着けたし、当時の集会の開始は7時半だったので、6時半に会社を出れば、何とか間に合ったのです。もっとも、夕飯はいつも集会後でしたが・・・。

 

 さて、前に戻りますが、藤崎先生を最初にお呼びするきっかけとなったのは、1987年の3月頃、5月15日(金)の満6周年記念集会に「どなたかいますか?」との私の問に、豊兄が「うちの教会に今、藤崎三牧さんという神学生がお手伝いにきているが、彼のお父さんは日立教会の牧師で、何か面白いユニークな人らしいですよ」と教えてくれました。

 私は早速『キリスト教年鑑』で「日立教会」(日本基督教団)の住所を調べ、戦後のわが家の家庭集会から現在の再開集会までの歩みを記した依頼状を送らせて頂きました。

 それに対する藤崎先生からの“承諾”のお手紙が、集会ノートのその日(5月15日)の頁の間に大切に保存されていました。それは、その後たくさん頂戴することになるお手紙と同様に、愛用の万年筆で一字一字、丁寧に書かれた何とも言えぬ“温か味”に満ちたものでした。日本の大型クワガタの代表「ミヤマクワガタ」の60円切手が貼られた封書の中に、大判の原稿用紙一枚に、次の文面がありました。

 「主のみ名を崇めます。

 お招きをいただきまして、ありがたく感謝します。それも素晴らしい歴史をもつ集会であることを文面を通して知り、感激しております。また、それに加えて当日が結婚記念日であるとか、何か言い難き責任と歓喜を持たされております。無力非力の者です。よろしくお願いします。題を左に記します。

主題:失われた者を尋ねて。

聖書:ルカの福音書19章1~10節。

面白い、為になるお話です、と思います。

求道者向けのお話になろうかと存じますが、しかし筋は信仰者にも明確であるように心掛けるつもりです。市川家庭集会がいよいよ祝されますように。主のご用にもちいられることが、わたしたちの生き甲斐であります。お子さま方の上にも、主の導きをお祈りいたします。

 御身をくれぐれも御大切に。心こめて。

1987年4月21日

藤崎 信

 

この「心込めて。藤崎 信」の文言は、その後頂いた数百通のお手紙やファックス分のすべてに共通するもので、それらにどれ程、慰められ、励まされたか知れません。満面の笑顔と並ぶ“藤崎魅力”の一つですね。

 1987年5月15日(金)の夕方、まだ落ちない西日を背中に浴びて、わが家の玄関に立つ先生を見た家内は、一瞬、5年前に亡くなった私の父が戻ってきたような錯覚に捕らわれたそうです。当時61歳で、まだまだ脂が乗った先生を、80ちょっと前に天に召された父と見間違えるなんて失礼だよ、と私は思ったのですが、その後先生と親しくなるにつれて、晩年の柔和になった父と確かに雰囲気が似ているかもと思い直したのでした。

 3年の子供たちは、最初から「おじいちゃんにそっくり」と言って、信先生が大好きになり、先生の来られる日を楽しみにするようになりました。ずっと後に、信先生から聞いて驚いたのですが、集会を終えてわが家にお泊まりになる先生の枕元に一通の手紙が置いてあり、その中に「神様の働きをする人をわが家にお迎えできてうれしいです。ゆっくりお休みください」といったことが書かれていたそうで、先生は「この志保子さんの手紙に感激して、今でも大切に持っていますよ」と。

 多分、中学時代の口数の少ない末娘が、精一杯の信先生への感謝を込めて書いたのでしょう。この娘はまだ中学時代、親友の紙山玲子さんと「夏の松原湖キャンプ」に参加して、その年の講師であった横山幹雄牧師のお話に心を動かされてか、最後に先生が「もし将来、あなた方の中で主の働きがしたいと思う方はあとで私のところへ来て下さい。お祈りしますから・・・」との言葉に応じたのでした。

 こうして多くの方々の祈りがあって、主の働き人が誕生していくのだな、と思わされています。お陰様で志保子も、現在カナダ・バンクーバーにて“Anglican Network in Canada”のアジア人初の女性司祭として「CAN(Church of All Nations)」を牧会しております。また一緒にキャンプに参加した紙山玲子さんも、いろいろな過程を経て、今では山梨県南アルプス市にある「ハレルヤ・バプテスト教会」の谷井涙賀牧師夫人として主の働きに従事!

 「市川家庭集会」と通して始まった藤崎信先生との主にあるお交わりは、この1987年の第1回から1996年4月19日(金)の第10回まで、毎年続いていき、それと共に日立に次いで市川を愛する人へとなって下さったのです。

 集会10回目の4ヶ月後の1996年8月には「聖望キリスト教会」が産声(うぶごえ)を上げ、藤崎先生との第二段階の歩みがさらに22年にわたって続いていくのです。

(2018年9月3日(月)記 代表:大竹堅固)