恵みのしずく

恵みのしずく(29)

恵みのしずく(29)

1.「クリスチャンの使命」

(福澤 満雄)

2.「献 堂 の 辞」

(大竹 堅固)

 

 

上記表題1.は、2010年11月21日(日)の主日礼拝における福澤満雄牧師のメッセージです。それはまた、大竹家の居間で行なわれてきた「市川家庭集会」(1981年5月15日〈金〉〜2010年10月1日〈金〉まで19年5ヶ月、回数にして540回)や「主日礼拝」(1996年8月4日〈日〉から14年4ヶ月、回数にして747回)の最後の日でした。

いよいよ来週からは、長年の願い叶って完成した「新会堂」で礼拝や「集会」だけでなく、すべてのイベント類を含めた全教会活動が始まるのです! そんな嬉しさと慌(あわ)ただしさの入り混じった興奮状態の私たちに、福澤先生は、以下のような適切なメッセージをして下さったのです。

さらに、スペシャル・サプライズとして、礼拝メッセージの最後に、以下の自作の詩をお得意の「詩吟」(先生は免許皆伝の腕前ですよ!)で朗々と歌ってくれたのでした。

「堅固なる巌(いわお)の上に 根をおろし

真すぐに伸びよ 大竹(おおだけ)のごと」

これは、もちろん、私の名前を使ってはいますが、先生の真意はイエス様と同じなのです。イエス様は言われました。「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません」(マタイ16:18)。

 

上記表題2.は、次週11月28日と次の12月5日(共に午後2時〜)の2度にわたって行なわれた「献堂式」で、教会信徒を代表して私が語った「献堂の辞」です。

(2020年9月12日記 大竹 堅固)

 

1.「クリスチャンの使命」

(ヨハネの手紙第一3章13〜24節)

 

 

今日が大竹家居間での最後の礼拝です。これまでの愛の労と奉仕に感謝します。来週からは新会堂での礼拝が始まります。ハレルヤ! です。来週から移られる新会堂で、一人一人がクリスチャンとして与えられた「使命」を果たして頂きたいと今日の聖書箇所を選びました。

日本人は、よく「宿命」とか「運命」という言葉を使い、多くの人がこれらの言葉に支配されて生きているようです。そのため、すぐに「諦めるより仕方がない」という考え方になり、次には「神や仏なんかがいるものか」という発想になっていく。前世からすべてが“定められている”という発想法です。

一方、「使命」という言葉は、日本ではあまり使われません。『広辞苑』(岩波書店発行)によれば、使命とは、①使いとして命ぜられた用向き。使いの役目。②使者。③自分に課せられた任務。天職、とあります。クリスチャンにぴったりの言葉なのです。

 それでは、今日の聖書箇所を具体的に見ていきましょう。

(1)ヨハネはこの手紙の冒頭で、①初めからあったもの、②聞いたもの、③目で見たもの、④手で触ったもの、すなわち、⑤いのちのことばについて語っています。これはイエス様のことです。ヨハネがイエス様と3年間ともに生活した証しです。

 私たちも、聖霊による経験が無いと、力ある確信を持って使命を果たすことはできません。

(2)聖霊体験 今日の3章24節の「神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えて下さった御霊によって知るのです」とあるように、聖霊によるのでなければ、イエスを主と告白できません。イエス様を主ですと告白するクリスチャンは、自分ではその時に理解できなくても、聖霊の働きであったことを後でわかるのです。

(3)何がわかったのですか? ①キリストに似たものとされること(3章2節)。②罪がキリストの十字架で取り除かれたこと。③死から永遠のいのちにキリストの復活によって約束されたこと。④キリストによって本当の愛がわかったこと。⑤真理に属する者とされて平安が与えられたこと、などです。

(4)クリスチャンの使命(3章16節)人生を通してイエス様の「証し人」になることです。使命を果たすための力は、まず第一に聖霊に満たされることです(使徒1章8節)。肉の力では、絶対に続きません。

使命とは、命を使うと書きます。命とは、神様が下さった時間です。時間は命です。神様が下さった「いのちの時間」をどのように使うかで、人生が決まります。

友のために「いのちの時間」を使う動機は「愛」です。いつまでも残るのは愛です(Ⅰコリント13章)。愛を動機として時間を使う時、どんな小さなことでも「使命」を果たしているのです。

イエス様も言われました。「この最も小さい者たちのひとりに一杯の水を与える者は、私にしたのです」(マタイ25:40)と…。

(5)いのちの砂時計 今日、私は砂時計を持ってきました。上の部分はこれからの時間です。下の部分は、すでに使った時間です。

 私の体の中の「いのちの砂時計」は、下の時間はわかります。しかし、残りの時間は見えないのです。あとどのくらい時間が残っているかわかりません。わかるのは神様のみです。

 しかし、大切なのは、今の時間です。いま皆さんと共に礼拝を献げている時間は、神様に献げている素晴らしい時間、最高の“使命タイム”なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2.「献 堂 の 辞」

 

「われ一粒の麦とならば わが生涯

これにて足れり」(大竹 達之助)

 

「ただひとり、大いなる不思議を行なわれる方に(感謝せよ)。その恵みはとこしえまで。」(詩篇136:4)

 

 ハレルヤ! 主を賛美します。ついに、長年の夢であった「新会堂」が完成し、今日、献堂の式を迎えております。「市川家庭集会」を始めて30年、家の教会「聖望キリスト教会」が誕生して15年の節目の年に、主は私たちに、こんな素晴らしい、身に余る会堂を与えて下さいました。教会員一同の喜びと感激は、到底、言葉では言い尽くせません。まず、すべてを導いて下さった主に心からの、心からの感謝を献げます。

 また、主の助けと共に、長年にわたる多くの方々の励ましと協力なくしては、この“聖なる事業”の完成も、まだまだずっと先になったことでしょう。それらの方々にも、心からの感謝を申し上げます。

 この会堂の実現は、父・達之助の晩年の大きな夢の実現でもあります。80年前の昭和の初めに、主が貧しい青年であった父を選び捉えて、後に愛用の聖書に自ら記したように、「一粒の麦」となってくれたことに、この教会の原点があります。

 いま改めて振り返ると、主のご計画は私たちの思いなどを遥かに超えて、目に見えないところで着実に進められ、私たちは、ただそのご計画の中をいつの間にか歩ませて頂いたにすぎないことに気付きます。すべては主のご計画でした。栄光在主です。

 いま、私たちに与えられたこの会堂を、私たちと共に主に献げます。どうか、み心にかなった用い方をしていけるように、導き守って下さい。主の御名によって祈ります。 アーメン!

2010年11月28日(日)    信徒代表

2010年12月5日(日)    大竹 堅固