日曜礼拝

3月15日:福澤満男牧師「キリストにある感謝と祈り」

★新型コロナウイルスの感染拡大で3月第1・2主日の休みを決断!★

 2月26日の「灰の水曜日」からレント(受難節)に入ったのに呼応した訳ではなく、市川および近隣から感染者が次々に出ていることから、3月の諸先生とも相談して3月1日から14日まで「休み」と決めました。

 それから急ぎ大竹兄姉ら3人で分担して教会員および他教会の人々に連絡を…。ほぼ全員が「この時勢では」と納得されました。

 しかし、いつもは当たり前と思っていた礼拝・集会・朝祷会のサイクルがなくなってみると、無性に寂しく、詮方ない思いに捕らわれる人も出てきた。いつもの昼食の楽しみがなくても、声を出して歌が唄えなくても、マスクをしたままの短い礼拝でもよいから、ということで、福澤先生のご意向を確かめると、「私は伺います」で今日になりました。

★「天災は忘れる間もなく(突然に)やって来る!?」★

 今回のまさに降って湧いたような「新型コロナウイルス」に、突如、世界中が混乱状態に陥っている。私たちキリスト者は、これにどう対すべきか? 福澤先生が先週読まれた「詩篇91篇」を熟読含味していこう。 戦前の有名な物理学者であり、また科学随筆という新しいジャンルを樹立した寺田寅彦(1878~1935)の言葉に「天災は忘れた頃にやって来る」というのがあったが、最近の地震・台風などの頻発に対しては、上記のような表題に変えても、寺田博士も“納得”して下さるのでは…。

 3週間ぶりの先生のメッセージに力と希望を頂いた。礼拝32名(CS休み)。

★「キリストにある感謝と祈り」(エペソ書1章15~23節)★

2020年に、こんな災いが起こることを誰が予想したでしょうか? 神のみ許しがなければ、何事も起こらない筈で、このことを通して神様は何を教えようとしているのか? 祈っている時、詩篇91篇が示された。

不思議なことに、このような困難な時こそ教会は成長してきた。「使徒の働き」はその連続です。万が一、コロナウイルスで召されることがあっても、私たちキリストに信頼する者は“とこしえの命”を約束されているのです。恐れることはない。信じて主に仕えていく時、神の祝福は与えられるのです。こういう年こそ、主は生きておられることを証しする教会でありますように! また愛の実をならせる者でありたいです。