日曜礼拝

3月31日:ウォーレン志保子「キリスト者の究極のビジョンと希望」

 久しぶりの宣教です。ヘブル人への手紙12章1~3節&ヨハネの黙示録21章1~5節より「キリスト者の究極のビジョンと希望」と題して。志保子司祭とケン兄は、24日まで福島を訪問中。ケン兄は26日に帰国します。

2017年3月19日以来2年ぶりにウォーレン志保子司祭(カナダ・バンクーバーの「Church of All Nations=CAN」)が、最初に教会の様子とNew Eden Farmを映写した。礼拝77名(子供10名)。
  昼食後、7台(奥野家は別に2台)の車に分乗して市川市霊園へ向かう。抜けるような青空と満開の桜の下、ウォーレン志保子司祭の司式で2時より、「春の墓前礼拝」と1月28日に天に召された「奥野静江姉納骨式」が賛美と祈りをもって行われた。大竹代表から既納骨者6名の名も読み上げられた。参加者50名(熊谷関係5名、奥野関係13名)。
  当日のウォーレン志保子司祭の礼拝宣教要旨は、以下の通り。
◎「キリスト者の究極のビジョンと希望」(ヘブル12:1~3、黙示録21:1~5)◎
  私たちは、今は離れていても同じキリストの体に連なる民であります。2年ぶりの今朝、こんな提議をしてみたい。すなわち、「本当の神の民とは何か?」「クリスチャンのアイデンティティとは何か?」「私たちは何のためにここにいるのか?」「私たちの最終的な希望は何か?」
  大部分のクリスチャンは、「死んだら天国に行くこと。これが私の最終的な希望です」と答えるでしょう。しかし、私たちに与えられている神の救いは、そんなナルシスト的なミクロなものでなく壮大なものです。
  イエスの愛は、自分のいのちを与えるほどの深い愛で、ヒューマニズムの広くて浅い人道的な愛ではありません。この壊れた地上に御国を来たらすキリストの“新しい創造”に私たちも参与していくべきなのです。