3月8日:早矢仕宗伯牧師「立ちなさい。恐れることはない。」
礼拝はお休みでしたが、早矢仕先生よりメッセージが届きました。
マタイによる福音17章1~9節「立ちなさい。
日々のニュースに一喜一憂することが多いのです。
けれど、それでも、私たちのやるべき事は変わりません。
ふと気付けば、大切にすべきことは一つです。それは、
ひと息、ひと生き…丁寧に積み重ねる。心を込めて日常を熟す。
どうか、今週も主の平安があなたを支え、
「恐れることはない」主イエスは言われる。
何度も繰り返して言われる。「恐れることはない」
私たちは、恐れます。恐れない日は無いと言うほどに…。
自分の理解を越えたこと、予測できない事態に触れる時。
自分が思っている程に大した存在ではないことを知る…、
この世界が自分を超えた大きな何かによって導かれていることを知
自分の小ささ、無力さを知り、自分が生きている世界が、
恐れは、私たちが、自分を越えた大きな何かに出会う時に起こる。
私たちは、恐れる…。恐れる者…。私たちは、神ではない…
イエス様と弟子たちに危機が迫る中、
イエス様が太陽のように光輝き、モーセとエリヤが現れた。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」(
圧倒的な光の中で、神の声を聞く…。
「弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。」(6節)
彼らは、倒れ伏した…。立って居られないほどの恐れに包まれた。
存在が揺らぐほどの経験…。
どうして良いか分からず、何も出来ず、
これを何に例えることが出来るだろう。
とんでもない嵐や地震を経験する時に味わう恐れ…。
人が神と出会うと言う経験は、まさにそのようなこと。恐れ、
弟子たちは、倒れ伏した。神の圧倒的な偉大さ、その臨在の中で…
私たちは、恐れる…。未知の存在、自分の理解を越えたこと、
私たちは、恐れるほどに小さな存在。
しかし、主イエスは、恐れる者に近づいて来られる。「
「恐れることはない」顔を上げれば、そこに主イエスが居る。
主イエスは、「恐れることはない」と言うために来られた。
主イエスの復活の朝、「恐れることはない」
「恐れることはない」人は、恐れに支配されて生きる者ではない。
神は、私たちを恐れさせ、倒れ伏させることを願ってはいない。
「完全な愛は、恐れを締め出す。神は臆病の霊ではなく、
今日、神の声が響く。
「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」
「立ちなさい。恐れることはない。」