日曜礼拝

3月25日-1:大竹堅固代表「わたしについて来たい者は」

マタイの福音書16章21~28節

※録音時間の都合により、前半と後半に分かれます。

棕梠の主日。2月14日の「灰の水曜日」から始まった今年の「レント」(受難節・四旬節)も、最後の週「受難週」に入った。1年3カ月ぶりに、大竹堅固代表が16章24節を中心に以下の宣教を。礼拝計57名(CS8名)。

★「わたしについて来たい者は」(マタイの福音書16章21~28節)★

この24節の「わたしについて来たい者は…」の聖句は、共観福音書と言われるマルコ(8章34節)、ルカ(9章23節)にも同じ表現で見られます。

さらに、頭に「自分の十字架を負って」を冠した「わたしについて来ない者は」、「わたしにふさわしい者ではありません」(マタイ10:38)、「わたしの弟子になることはできません」(ルカ14:27)と厳しいです。

また、昇天前に語られたイエス様の「わたしの証人となります」にも注目すべきです。「証人」と「殉教者」は同じギリシャ語です。そして、火のような聖霊を受けた時、弱虫で卑怯者だった弟子達が、死も怖れない「キリストの証人」となり、「殉教者」へと変貌していったのです。

420年前、「わたしの十字架はどれ?」と殉教した日本の少年達も…。