日曜礼拝

5月26日:山中 直義師「神が」創世記45章1~15節

1月28日(日)の創世記43章に続いて、山中直義牧師が、創世記37章~50章のまさに「クライマックスはここにあり」の場面を。礼拝38名。

★「神が」(創世記45章1〜15節)★
創世記37章から50章は、一つの見事な文学です。37章2節に「これはヤコブの歴史である」と記す。つまり、ヤコブの家族の物語ということです。当時、神を知る者は、ヤコブの家族のみであった。つまり、見えない神が、ヤコブの家族の一人一人の背後に厳然と存在していたのだ。
しかし、10人の兄たちは弟ヨセフを愛せないばかりか、ヨセフが見た夢にいよいよ彼を憎み、エジプトに奴隷として売り飛ばしたのです。
だが、神はヨセフを用い、ヨセフも神とともにあった。2年間の忘れ去られる年もあったが、ファラオの夢を解き明かしたことにより、ヨセフはエジプト第2の権力者になる。神が主人公、これこそが聖書のテーマ。